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伊香保名物として皆さんに親しまれている湯の花まんじゅうも、かれこれ90年近くの歴史があるんですね。まんじゅうができた経緯というのは、いろいろな人が伝え聞いたことなので、少しづつ違うのですが、大筋のところでは一致しています。
ともかく、「湯乃花饅頭」が伊香保町で売り出されたのは明治43年のことだったんだそうです。ちょうどその年は、前橋市で大博覧会が催された年でした。たぶん群馬県中、活気にあふれていたと思います。今で言えば、オリンピックが開催されるといった具合の大きな出来事だったに違いありませんからね。 この年の10月に、「伊香保電気軌道株式会社」ができて、伊香保・渋川間に電車が走り出したのもこうした好景気と無縁じゃなかったと思います。この電車が「江の電」を払い下げたものだったんです。その関係で、電車関係者が時折江ノ島に出張することもあったようで、その時買って帰ったのが「片瀬饅頭」という江ノ島名物です。 このまんじゅうに関心を寄せたのが、湯元道の入口に住んでいた須田逸平さんという人でした。風流人だったそうで、伊香保にもこうした土産物があったほうがいいと思ったんでしょうね。近所で団子や駄菓子を商っていた勝月堂の半田勝三さんに、まんじゅうを作ってみないかと持ち掛けたんだそうです。 研究熱心な勝三さんは、温泉の色に似せたまんじゅうにしようと半年ほど苦労をして、ようやく作り上げた。そのまんじゅうの味や形は、ほとんど今と変わらないものだったと言います。最初は、温泉の湯花にちなんで「湯花饅頭」ということで売り出したらしいのですが、あまり綺麗なイメージがないことと、堅い感じがするというので「湯乃花饅頭」にした。これが、伊香保の湯の花まんじゅうの初めであり、全国の湯の花まんじゅうの初めなんじゃないだろうかと思います。 勝月堂がまんじゅうを売り初めてまもなく、やはり須田さんと縁のあった町内の千明三右衛門さんの勧めで、和菓子屋の田中屋がまんじゅうを作り始めます。茶色のまんじゅうという共通性を持ちながら、互いに個性あるものを作ったことで、やがて伊香保にまんじゅうあり、という風になっていったんでしょう。 昭和初期には、清芳亭、大黒屋の二店舗も加わって、より一層個々の味に磨きがかかるようになりました。 <当時の写真> そして、一大転機がまんじゅう作りを店の裏から表に持ってきたことです ね。というのも、それまでは奥の薄暗いところでまんじゅうを作っていたのですが、寿司屋さんのように店頭で実演販売を始めた。このまんじゅうを蒸かす情景は、一種の風物詩となって評判になっていくんですよ。昭和13年には、この方式を持って上野松坂屋に出店をするんですが、大変好評だったという話を聞いてます。 その後も幾度となく、デパートや観光展などで同じような試みをしたことが功を奏したのでしょう。戦中戦後の一時期は、砂糖の統制にあってまんじゅうを作れないことがありましたが、復興とともにコマーシャリズムにも乗って、湯の花まんじゅうは全国的に有名になっていきました。今では、まん じゅうを作る店は11店舗ほどありますから、90年ほどの時間を経て、湯の花まんじゅうは名実ともに、水沢うどんと並ぶ伊香保の代表的な名物になったんじゃないかと思いますよ。 |
| 湯の花まんじゅうあれこれ |